充実できない日々
一般人で、自分の生活圏の範囲内で生活している人は、そこまで、思われることはないにしても。
相手を引き摺り下ろすしか手がないのは、自分が上がれないとわかりきっている場合だ。
自分は頭打ち、歴然とした差は、埋めようがない。
そういう時は、目標を変えることだ。
しかし、目標を下げる、となると、またまた自己嫌悪に陥り、いかにも敗北感が強く、プライドが許さずムカ雪纖瘦投訴つくので、
方向転換という、聞こえのよいものに変える。
まあまあ、たかだか趣味のことで、そんなに目くじらを立ててどうする?
プロじゃあるまいし。
楽しければ、いいじゃない。
という声が聞こえる。
が、その声は、負けた人間が、レース外から、試合を放棄し、努力まで放棄し、
一生懸命頑張っている人も、試合中止をさせるかのごとく、
まだ進行形で、緊張感で張り詰めている舞台を、シラケさせ、
結果的には、自分のところにまで、頑張っている人を引き摺り下ろしていることになる。
自分は脱落していても、同じ条件にリセットしてしまえば、勝ち負けがはっきりつかず、気持ちは、楽になることだろう。
そういう人は、試合に参加せず、応援席にいるべきだ。
選手と同じ目線、空間にいるべきでない。
?????
つまり???
自分は、負けたんだから、応援席に回るか、あるいは、種目変更をして出直すか、だ。
種目変更しても、また厚い壁。
その時は、舞台を降りて、別の舞台に移る。
すると、そこには、似たような、元(もと)落ちこぼれの人がたくさんいて、
「おい、あんたも雪纖瘦投訴かい???」と、
お互いの挫折感もよくわかり、和やかに、おだやかに、過ごせるかも知れない。
あるいは、元選手も、リタイアして、その舞台に降りてきているかも知れない。
どっちみち、第一線ではなく、なんらかの、わけありB級品以下の集まりだ。
そこが、自分にとって、抵抗なく気持ちいいものであるなら、それはそれでいい。
だが、落ちこぼれ軍団、と、自分で思っているなら、気持ちは決してよくないだろう。
ゆるやかに、自分の力に沿って、目標や課題を下降させる。
この潔さがないと、いつまでもしがみついているだろう。
そして、枯渇感、虚無感、不満足感、を悶々と送るだろう。
それを耐えて、見事乗り越えて、目標を達することができるのならまあよいが。
乗り越えることができず、目標を無理やり変更する羽目になる屈辱感に、自分が耐えられるかどうか。
二度とその舞台には近寄らないか、
冷却期間を置くのか、別の方面に切り替えるのか、
あるいは、吹っ切れて、にこやかに、楽しくやっていくか。
?????
ま、各自それぞれに、やっていけばいいのでは。
(いきな雪纖瘦投訴りの、結論。
突き詰めるのが、面倒になってきた???ああ、疲れた)
性格や考え方、生き方、
時間配分、エネルギー配分、ひとそれぞれ。
好きにやればいい。
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